2008.08.19 18th Asia Pacific Cocktail of the year Cocktail Competition 2008
18th ASIA PACIFIC バーテンダーオブザイヤー カクテルコンペティション2008」参加報告
第18回 2008 アジア・パシフィック バーテンダーオブザイヤーを終えて
日本ホテル・バーメンズ協会 東京支部中央ブロック
ザ・プリンスホテル パークタワー東京 荒井 成次郎
バーテンダーとして早い時期から意識し、過去の出場選手から大会の話を聞いて「いつか自分が代表選手に」と思い続けていたこの大会への出場が決定したのは4月のことでした。
カクテル創作
これまで私のオリジナル作品はドライ・カクテルを得意とし、
トロピカルなスィート作品は少なくいつもカクテル(レシピ)が先に出来上がるため、
今回は慌てずゆっくり創作しようと考えカクテル・イメージに多くの時間をかけました。
08年の夏に世界的なイベントは何か?まずそこから入り“オリンピック”“サミット”の2つに絞りました。
“オリンピック”に関しては大会期間が重なり丁度合うのではと考えましたがどうしても“金メダル”をイメージしてしまい
自作品“ゴールデン・ブライト”と被ってしまうため“サミット”をテーマにした方が良いと考え“洞爺湖サミット”に注目し、
新聞やニュースで情報収集を行ううちに“地球温暖化対策”“エコロジー”この問題をバーテンダーとして取り上げてみようと考えました。
現在、日本でも人気の“ミクソロジー・カクテル”で臨むことは以前から考えていたためカクテル4技法のうちの“シェーク”
しかも1番エンターテインメント性を演出できる“2ピースシェーカー”(ボストン型)で創作するカクテルと
絞り酒類の使用材料は1、現在、世界中で“梅酒”が“チョーヤ”の名で愛飲されている“チョーヤ梅酒”
2、フルーツや野菜と合わせると今までとは違ったフルーティーな“ウオッカ・カクテル”になる
フレンチ・グレープウオッカ“シロック”この2品に照準を合わせレシピ構成を行っていきました。副材料は梅酒との相性を考え
トマトと人参の2種に絞りこみましたが、トマトに関しては日本の物と海外との味の違いが大きく現れると考え
“人参”にすることに決定しました。
過去の選手たちは期限ぎりぎりでのカクテル・レシピ提出と聞いており私は十分ゆとりを持ったカクテル作りができたと思っていましたが 第18回大会のレギュレーション内容が届いたのは大会5週間前(レシピ提出3週間前)の7月14日(月)のことで
大会スポンサーの中に前年まで入っていた“チョーヤ”が無いのです。“チョーヤ”が使えないのであれば人参の使用も危うく思い
レシピ再構成にとりかかり“賛助製品リスト”の中から代用品を選びました。
(ミクソロジーは諦め)ネーミングは何種類か候補を作り紙に書き出しお客さまやスタッフに名前を選んでいただきました。
デコレーションは人参とオレンジ、チェリーを使い輝く太陽を表現しました。
こうして“Sweet Sun Shine”メッセージは“太陽に優しくしよう”というカクテルを誕生させました。
メジャー・カップ
国際大会において1つ重要なのが“メジャー・カップ”の使用です。
技術審査の中に商品に対する信用は分量の正確さとなっています。
我々日本ホテルバーメンズ協会はメジャー・カップを使用しなくてもショットを切れるバーテンダーの団体です。
しかしメジャー・カップも大事なバー・アイテムであり、扱えてこそ国際的なバーテンダーと考え17年間使用していなかった“メジャー・カップ”の練習を始めました。
カクテル・コンペティションは普段の仕事をいかに出せるかがポイントと考えます。
しかし実務では使用しない“メジャー・カップ”に違和感を覚えながら練習を続けました。
シンガポール
8月17日(日)
17時30分成田発ANA901便にてチャンギ空港に到着したのが現地時間23時40分(時差1時間)
随行員のウエスティン・ホテル東京角井君と2人でタクシーにてシェラトン・ホテルへと向かいました。
シンガポール市内北部の市街地ニュートン地区、周りも落ち着いた雰囲気の中に立つ21階建のホテルでファイナルの会場である
“グッド・ウッド・パークホテル”に近いホテルです。チェック・イン後部屋に入るとお約束のようにそこにはダブルベッドが用意されていました。
ベルマンに「恋人同士に見える?」と聞くと苦笑いを浮かべながら手際よくルーム・チェンジをしてくれました。

随行員 角井氏 まさかのダブルベッド 苦戦した横断歩道
気持ち良く目が覚め1人で朝の散歩。
シンガポールの横断歩道に苦戦しながら歩いていくと目の前にファイナルの会場である“グッド・ウッド・パークホテル”が見えました。
「必ずここに戻ってくる」と心に誓いながら1時間ばかり歩きホテルに帰ろうとしたところ
通りを1本越えてしまいホテルは見えているのになかなか戻れず、
建物の中を通り抜けようとしたらガードマンに優しく呼び止められてしまい隣の駐車場を抜けていくとそこは偶然“グッド・ウッド・パークホテル”の駐車場。
「こんなに早く戻ってきた」と感動しながらホテルに戻りました。
前年が地下鉄で隣のオーチャードにあるヒルトンに宿泊だった事と角井君の所属ホテルがスター・ウッドグループということでこのホテルを選びましたが
今年はセミ・ファイナルの会場であるクラーク・キーにある“スイスホテル”が日本選手の宿泊地となっており地下鉄にて移動。
この日の夕方ブリーフィング兼ウエルカムディナーが行われる予定でしたが
会場がわからず角井君が何件かに電話し、なんとか会場がわかり慌ててタクシーで会場へと向かいまいした。
ホテルのプールサイドがウエルカムパーティーの会場となっており、
ここで初めてNBA国際局上野氏とフリー・スタイル代表のNBA湯本氏にお会いしました。
しかし、雨が降ってきてしまいパーティー会場が宴会場へと変更になりました。
パーティー中に明日からの大会のブリーフィングが行われ、
この時セミ・ファイナルの出場順も、くじ引きで決められ私は7番ということが決定しました。
その後のレシピ・チェックで“クラッシュ・アイス”に関して「アイス・クラッシャーは持っているのか?」と質問され
「持っていない、クラッシュ・アイスを用意してくれ」とお願いしエントリー表にサインをしました。
セミ・ファイナルで着用する大会用のシャツのサイズを探していたとき「ちゃんとたたんで返せ」「NI・HO・N・JI・N」と怒られてしまいました。
その後も各国の選手やジョン・ホワイト・コース(JWC)の生徒らと交流を深めたのですが、
このとき私の会員バッチを皆が欲しがり断るのに苦労しました。
また、“フリー・スタイル”の人気が高く“クラシック”との注目度に差があることも感じました。

リトルインディアの市場にて 豊富なフルーツ 格インド・カレー

本格インド・カレー NBA上野氏(右)と湯本氏(左) スイスホテル
8月19日(火)
午前中はホテルで過ごし、昼に日本から応援に来てくれた山本君・橋本さんと合流し湯本さん.角井君と5人で
チャイナ・タウンにて食事を取りました。
前日にデコレーションに使う“人参・オレンジ”をリトルインディアの市場で確認してあり
国内の物と変わりがないことを確認できており食事後またリトルインディアまで行くことにしていたのですが
チャイナ・タウンのフルーツ・ジュースの屋台で“人参・オレンジ”を発見しました、
しかしチェリーに関しては“アメリカン・チェリー”のような濃い色のタイプしか見つけられず
角井君のアイディアでホテルのバーにて入手しました。
部屋に戻り準備を整え、いざ会場へ。
人気の石焼ステーキの店にてブッフェ・スタイルの夕食をとり出番まで時間があるので一度部屋に戻り再び会場入り。
シンガポールの国内大会やメイン・スポンサーである“タイガービールの栓早抜き大会”などが行われ会場が興奮に包まれたころ、
いよいよセミ・ファイナルがスタートとしました。
私は7番目ということで早めに準備をしようとステージ直ぐ後ろの控え室?(実際は3~4名でいっぱいになってしまうような荷物部屋)に入ろうとすると 昨晩仲良くなったエントリー5の韓国の選手がスタンバイをしていました。
現地スタッフにまだ早い、と入れてもらえず外にて道具を用意していると「まだ時間がある。鞄へ戻せ」と言われてしまい、
では他の選手の演技を見ようと観戦していたらいきなり呼び出され「5分で用意しろ」と控え室に入れられてしまいました。
デコレーションを仕上げていると「もう始まっているから早く出ろ」となりこのときまだ機材はまだ新聞にくるんだままバッグの中。
胸にはっていたエントリー7のシールをはがされエントリー6が張られました。
どうにか機材をバックから出しトレーに乗せピューレやジュースも空のままの状態でステージへ、
とこのときグラスを倒してしまいもう終わりかと思ったら予備のテイスティンググラスだったため何とかセーフ、
そのままステージへ上がると韓国の選手がスタートしていたのですが、私のカウンターは何も準備が整っていません。
そこから氷とボトルの位置を変え、クラッシュ・アイスが無いのに気づき請求しましたがなかなか用意されずピューレとジュースが渡され
司会者や運営スタッフから「早く始めろ」とせかされスタート。
ここからは気持ちを切替てタイム・ロスを取り戻すために笑顔を忘れずにプレゼンテーションをはじめました。
終了後直ぐに「なぜ7番から6番に直前に変えられたのか、私は何度も準備させて欲しいとお願いしたのにさせてもらえず 同じ出番の韓国の選手が準備をしていた、クラッシュ・アイスも無い フェアでない」と抗議をしましたが
担当者は「今はわからないが調査し報告する」との返事でした。
すべてに納得がいかずに片付けを始めているとパイソン・グラスは割れておりミキシング・グラスとバー・スプーンは無くなってしまい、どん底の気分に落ち込んでおりました。
昨晩知り合いになった台湾のコーチに「良い仕事をしていた」と労いの言葉をいただいたのですが、
もう頭の中が真っ白の状態で結果発表の時間となってしまいました。
技術審査を終えた上野氏に事の次第を説明していると、司会者より「Japan」と2番目に呼ばれステージへ、
もう完全にあきらめていたので大喜びをしてしまいました。
残念ながら、湯本氏はファイナルへの進出はなりませんでしたがセミ・ファイナル終了後、
上野氏の計らいで会場隣のバーにてシンガポールの地ビールで乾杯。
日付はすでに20日になっていました。

日本から応援に来てくれた橋本さんと山本君 ステージ1番乗り

チャイナ・タウンにて 好みの人参見つけた 湯本氏と決戦前の1枚

食事風景 熱気に包まれた会場 セミ・ファイナル終了後
8月20日(水)
午前中、昨夜上野氏より国際ルールにおいて(他さまざまな事を教えていただきました)の
“グラス”や“機材”をチルドする重要性のアドバイスをいただき(セミ・ファイナルでは時間短縮のためグラスチルドを行わず、
またボストンのパイソン・グラスを冷やすという概念がなかったため)ホテルの部屋で、ファイナルに向けた練習を行いました。
(湯本氏からも親身にアドバイスをいただきました)正午にラッフルズホテル“ロング・バー”へ行き
本場の“シンガポール・スリング”を味わい、夕方ファイナルの会場である“グッド・ウッド・パークホテル”へ 。
プールサイドで長めのプレ・ディナー中に荷物をステージ裏の控え室に運び(この日は直ぐに入れた)デコレーション製作。
ファイナルではエントリーNo3、クラシック2選手1クール、フリー1選手1クールを交互に行うため、私の出番は3ステージ目でいよいよ順番が回ってきました。
国内コンペティションとは異なり選手自身で器材を運びセッティングをします。
トレーを置きスタンバイを始めるとストレーナーが無い事に気付き直ぐにステージ裏に取りに行きスタートしました。
グラスとパイソン・グラスのチルドを終え材料を注ごうとした時にメジャー・カップも無い事に気が付きました。

ラッフルズホテル
ロング・バー プレ・パーティー

ファイナル会場 ファイナルステージ 山本君(左) 角井君(右)
8月21日(木)
午後5時30分、マーライオンを眺めていた。
帰りのフライトが深夜ということもあり1人でシンガポールを歩き回りました。
昨夜のファイナルではフリー・ハンドでカクテルを創作した、味・色・量ともに今までで1番の出来でした。
この数ヶ月間悩まされた“メジャー・カップ”から開放され「HBAスタイルは間違っていない」「もしかして」という気持ちを抑えながら過ごしていると 「なぜ、お前は時間を守らない」と各国の方々から次々にお叱りを受けました。
私がストレーナーを取りに戻っている間も時間は経過しセミ・ファイナルよりもゆったりと調合を行ったため規定時間5分間を7分間もかかってしまい10点以上の減点がついてしまっていたのです。
「味はとても良かったのに」「時間さえ守っていれば」何人もの人にさまざまな言葉を受けました。 昼間にオーチャードの街中でベトナムの選手と偶然出会い、彼から「気分はどうだい?楽しかったかい?」と聞かれ 「あまり良くない」と答えると彼は私の顔を見ることもなく街中に消えていってしまいました。
私は勢いよく海に水を吐くマーライオンを眺めながら考えました。
過去の選手達は皆「とっても楽しかった!」「楽しんだ者勝ちだよ!」
そして大会スタッフ達も「勝ち負けにこだわらず楽しんでください」としきりに言っていたのですが、
自分はどうだったのか?セミ・ファイナルから冷静さを失っていた自分に気付きました。
昼間会ったベトナムの選手はファイナルには進んでいませんでした。
それなのにファイナルの舞台に立てた私が落胆していたら彼にとってこんな気分の悪いことはなかったでしょう。

マーライオン 背後のラッフルズプレイス ミニマーライオン
帰国後
上野氏よりセミ・ファイナルの順番変更についての回答が届きました。
選手の使用するボトルに用意が1本しかないため順番を変えざるをえない状態であったとのこと。
この件に関しては“事前に知らされていなかった”“準備の時間もなかった”と伝えていただきました。
クラッシュ・アイスは屋外のため溶けるのが早く用意できませんでした。
ファイナルの時間の計測は時間を止めるよう動きましたがオフィシャルが続行の指示を出したとのことで、
この件に関してはこちら側の落ち度のためこれ以上の抗議はできないとのことでした。
最後に
あこがれの国際大会“アジア・パシフィック バーテンダー オブ ザ イヤー”今までのどの大会よりも疲れた大変な大会でした。
しかし 今回の経験は私にとってかけがえのない財産になったことは確かです。
大会期間中 私の名前は“JAPAN”でした。そして“FINAL”へ進めたことを誇りに思っています。
応援していただいた全ての方にお礼を申し上げます。
世界に最高の笑顔を見せてきました。
そして・・・いつかベトナムの選手とまた出会った時に彼に言いたい。
I have a good memory of Asia pacific Bartender of the year!
出場作品
NAME |
Sweet Sun Shine |
|
Recipe |
Ciroc Vodka |
30ml |
Bols Lychee |
15ml | |
Boiron Mango Puree |
30ml | |
Ripe Orange Juice |
15ml | |
Monin Coconut Syrup |
5ml | |
Garnish |
Orange、Carrot、Cherry |
