2007.07.27 17th Asia Pacific Cocktail of the year Cocktail Competition 2007

アジア・パシフィック・バーテンダー・オブ・ザ・イヤー カクテルコンペティション2007
参加会員レポート

今回は、7月23日〜27日までシンガポールで開催された
「17th ASIA PACIFIC バーテンダーオブザイヤー カクテルコンペティション2007」の
模様をレポート。
小森谷氏(国際部)と高野氏(東京支部/京王プラザホテル)の視察報告です。

・HBA国際部・小森谷弘 視察レポート
・京王プラザホテル 高野勝矢 フレアテンディングカテゴリー出場のご報告

 

■17th ASIA PACIFIC バーテンダーオブザイヤー カクテルコンペティション2007 視察報告書
平成19年7月28日 HBA国際部・小森谷弘


  • 参加者:小森谷弘(国際部)、高野勝矢(東京支部/京王プラザホテル)
  • 視察機関:<主催>シンガポール・ホテル協会(SHA)、シンガポール・バーテンダー&ソムリエ協会(ABSS)
  • 期日:2007年7月23日(月)~7月27日(金)
  • 渡航先:シンガポール
  • 視察スケジュール
7/23(月) ウエルカムディナー(カクテルコンペティション・ブリーフィング含む)
~シティエリア・レストラン「チャコール」
7/24(火) 19th Singapore National Cocktail Competition 2007
17th ASIA PACIFIC Bartender of the Year Cocktail Competition 2007 Semi-Finals
~クラークキー・セントラルスクエア(屋外)~
7/25(水) 17th ASIA PACIFIC Bartender of the Year Cocktail Competition 2007 Grand Finals
~グッドウッドパークホテル・ボールルーム~
<<視察レポート>>
 長年、HBAのみならず、日本のバーテンダーの国際化にご尽力頂いた澤井慶明氏のご逝去に伴い、
当会としても、新たな国際的なバーテンダー協会との連絡・協調係が、欠かせないとの理事会決議があり、
この大会へ私が派遣視察されるに至った。
この影には、日本における国際バーテンダー協会(IBA)との窓口である日本バーテンダー協会(NBA)、
特に、国際局・上野様の御厚意があってのことである。
本大会は、毎年開催されており、私自身も14年前に第4回大会での選手として出場経験を持つ。
当時から、この母体組織であるシンガポール・バーテンダー&ソムリエ協会(会長:Mr. Mac Lee)は、バーテンダーに対しての
啓蒙活動は著しかったが、 いまや、IBA・国際バーテンダー協会(52参加国、37サポート企業)会長・Mr. Derrick Leeを
輩出する優秀なバーテンダー先進国となった。
それに伴い、この大会も、年々、進化を遂げており、 IBA行事の中でも大きなポジションを占める。
また、観光立国であるこの国は、ホテル業界の影響力が甚大であり、
この大会には、シンガポール・ホテル協会(SHA)の冠がついており、
また、いずれの国々のホテル協会に属している加盟ホテル従事者は大会に参加することが可能な為、
我が協会のメンバーにも、出場資格が与えられるのである。
大会は、3日間に渡って開催され、IBAに加盟する主にアジア・パシフィック地区の国々が対象であるが、
近年は、ヨーロッパ各国も多く参加し、位置づけとして、アジアで行われる最大級のバーテンダー競技会と考えられている。
昨年までは、部門に関わらず、日本からは最低でも2名の参加が認められていたが、
本年から、各国、クラッシック部門1名、フレアー部門1名と定められた。
今回、HBAは、フレアー部門で参加した。
■7月23日
 初日、夕刻より、選手・各国役員の顔合わせを兼ねたディナーでこのプログラムが始まる。
ここで、HBA選手・高野勝矢氏(東京支部・京王プラザホテル)、NBA国際局・上野秀嗣氏(日本バーテンダー協会代表)、
NBA選手・新井洋史氏(関東地区本部・群馬支部)と合流。
ディナーは、シンガポール・ホテル協会が保持している「国際ホテル&観光専門学校」が
オペレーションを行うレストラン「チャコール」にて開かれ、洋食正餐。
今回は、クラッシック部門21名、フレアー部門9名が選手としてエントリーしていたが、
このディナー会場で本選出場作品のレシピ・材料・グラスなどの最終チェックとブリーフィングを
選手とアテンド担当のMs. Sylvia YeeとMs. Jesmi Tanが、細やかに行う。
 ディナー後は、「タイガービール」スポンサーによるバーホッピング。
一同で、バスを仕立て、お洒落なバーやディスコを一晩に何件か巡るのである。
この大会に合わせ開催される「IBAトレーニングセンター・ジョンホワイトコース・ファーイースト2007」の
参加者39名もこのバーホッピングに加わり、かなりの人数となる。
まず、1軒目は、和、韓、印などの流行のレストラン&バー集まるタングリンビレッジという
シティ郊外のトレンディスポットにある「Angel's Share」。
空間演出が上手で、ゆったりとした時間を過ごせる、まさに「天使の分け前」的なバーであった。
2軒目は、観光地・セントーサ島を臨むハーバーフロントに昨年末に
エンターテインメント・スポットとしてオープンした「St. James Power Station」。
1920年代に建てられたシンガポール初の発電所の歴史の面影を残す建築物を有効利用して、
バー、ダンスクラブ、ライブハウス、カラオケ、ジャズバーなどが入っている。
実は、ここにタイガービール博物館「Tiger Live」があるのだ。
我々が、訪れた時間は深夜の為、見学不可能であったが、タイガービールの歴史や製造方法などが分かる
エンターテイメント色の強いものだとのこと。
この夜は、シンガポール唯一のアルコールメーカーの為へのパフォーマンスでもなかろうが、
参加者一同、夜が更けるまでビールを飲み、語らい続けた。
ちなみに、JWコースの参加者は、2週間の期間中、毎晩バーホッピングを5~6軒程度行い、
朝方に宿舎に帰り、朝9時の授業に臨むそうだ。
  
~Tiger Live(St. James Power Station内)~
■7月24日
2日目は、午前中フリー。観光立国シンガポールを各々楽しむ。夕方からプログラムが行われた。
場所は、「Clarke Quay」というシンガポール川リバーサイドの元倉庫街を改装し、
綺麗なレストランやショップが立ち並ぶ一角(東京で言うお台場のようなイメージ)である。
そのセントラル・スクエア、つまり、屋外にて競技は行われた。特設ステージが、コンペティション会場であり、
その脇で選手がスタンバイを行い、ステージの裏側で味覚審査と集計が進む。
まるで、お祭りの屋台のような風景が広がっていた。
この状況下では、昨年の谷口氏のレポートにもあったが、選手にはタフさが求められると痛感した。
プログラムに先立ち、元IBA名誉顧問・澤井氏への追悼の意を込めたVTRが流された。
そして、シンガポールの国内大会「19th Singapore National Cocktail Competition 2007」から始まった。
男女ペアによる軽快な司会で、カクテルレシピが先にまず紹介され、演技へと移るスタイル。
審査は、IBA役員2名が1選手の目前で、テクニカル審査を担当(点数配分・クラッシック---40%、フレアー---70%)。
味覚審査はバックサイドでのブラインドティスティング方式を採用し
IBA役員3名が担当(点数配分・クラッシック---60%、フレアー---30%)。
競技は、クラシック部門は2名ずつ、フレアー部門は1名ずつ行われ、2杯分のカクテルを調合し、
1杯は完成品、もう1杯分を3つの小グラスに分け、試飲用とするIBAルールを採用。
国内予選会は、クラッシック部門12名、フレアー部門4名がエントリーし、各部門1名のみがその後の予選会へと進んだ。
中には、クラッシック、フレアー、両方の部門にエントリーしているツワモノもおり、
その彼は、フレアー部門で、次の予選会に進んだ。
 この後、恒例のビール栓抜き競争があった。タイガービール10本をテーブル上に並べ、一気に栓を抜きタイムを競う。
お遊びでなく本気でシンガポーリアン4名が争い、優勝者には、賞金も授与された。
 いよいよ、「17th ASIA PACIFIC Bartender of the Year Cocktail Competition 2007 Semi-Finals」(予選会)である。
まず、スポンサー紹介(世界的に有名な飲料メーカー20社以上)を行う。
そして、クラッシック部門21名(中国/香港、インドネシア、日本、韓国、ノルウエイ、フィリピン、
シンガポール、スリランカ、台湾、ベトナムなど)の演技が行われ、決勝に進む6名が選考される。
先ほどの国内予選会と同様のレギュレーションであり、ステージ上は、2名撃ち。
NBA・新井洋史選手は、エントリーNo.1であったが、落ち着いた演技を見せ、
きっちりカクテル「スイート・マーライオン」を仕上げた。

~クラッシック部門・NBA新井洋史選手~
~新井選手作品 Sweet Merlion~

 続いて、フレアー部門9名の演技。HBA高野選手も、エントリーNo.1であったが、
歌舞伎をアレンジした曲といきなりの着物姿で刀を手にした登場に観客がヒートアップする。
カクテル「アジアン・ビート」は、クラッシック部門でも上位に入ると思われるほど、
完成度の高い作品であった。(味覚は30%)さすがに、HBAチャンピオンである。
さて、こちらの部門は、スパイダーマン姿で観客を沸かせた台湾の選手、
中国の選手は曲に合わせたユーモラスでショーマンシップ溢れる演技、
早いボトル回しと素早い身のこなしの韓国選手など、個性溢れるフレアーで観客を魅了した。
ただ、演技に集中するあまりに、タイムオーバーをしてしまう選手が多かったことは、残念であった。
予選結果は、以下の通り。
クラッシック部門---日本、台湾、ノルウエイ、韓国、シンガポール、フィリピン <6名>
フレアー部門---日本、台湾、中国・香港 <3名>
  海外ではありがちのことではあるが、時間は大幅におして、全プログラムが終了したのは、深夜0時近くであった。
日本選手が、二人とも予選突破できたため、この後、祝勝会に繰り出すこととなった。

~フレアー部門HBA高野勝矢選手~

~NBA新井選手 & HBA高野選手~

~高野選手作品 Asian Beat~

■7月25日
  3日目も夕方から本選が行われる為、高野選手とラッフルズホテルのロングバーで鋭気を養ってから、 会場へと入る。
「17th ASIA PACIFIC Bartender of the Year Cocktail Competition 2007 Grand Finals」の会場ホテルは、
名門グッドウッドパークホテル。ロビーに直結したプールサイドでのアペリティフタイム後、会場となるボールルームへと移る。
大会は、スポンサー(飲料メーカー約20社)、大会関係者、各国応援団、JWC生徒、
そして、エントリー選手が中華の円卓を囲みながらの観戦で、総勢350名オーバーのディナーを兼ねた
オープンな雰囲気なカクテル・コンペティションである。
競技は、クラッシック部門2名撃ち⇒フレアー部門1名の演技×3セットとメリハリある大会運営で観客の集中もそらさない。
各国選手も心得たもので、クラッシック部門であろうとも随所にフレアーの要素を取り入れ、大会を盛り上げる。
もはや、シンガポール挙げての夏の一大イベントと化しているようだ。審査は、予選会時となんら変更もなく整合性が見られた。
クラッシック部門のNBA・新井選手は、またも、エントリーはNo.1。
同じ組であった台湾の女性選手の演技(艶技?)に観客の注目が集まり、昨夜と比べ、いささか勝手が違うように見受けられた。
~クラッシック部門・新井選手と台湾の選手~
~フレアー部門・優勝者 SPIDER-MAN~
~フレアー部門・三位 Mr. SAMURAI~

 一方、フレアー部門のHBA高野選手は、最終のエントリーNo.3と打順良く、サムライのニックネームも会場から飛ぶ。
昨夜、とてもキレの良い演技をした中国の選手が波に乗れず、チャンスではあったのだが・・・結果は、次の通り。

<フレアー部門>
優勝:台湾・Mr. Hsu Po-Sheng “The Melody of Spiderman”
準優勝:中国/香港・Mr. Han Chong ”Exotic Foreign Affair”
3位:日本・高野勝矢 (HBA東京支部・京王プラザホテル) ”Asian Beat”
<クラッシック部門>
優勝:シンガポール・Mr. Mahadi “Mela D’Oro”
準優勝:台湾・Ms. Wu Jou Wen “The Passionate Summer”
3位:韓国・Mr. Kim Hyun Jin ”Blush Cafe”

フレアー部門では、スパイダーマン姿で観客を惹きつけた台湾の選手が、安定したテクニックで、優勝となった。
我がサムライ・高野選手もHBAから初の国際大会への出場にも関わらず、大健闘であった。
NBA新井選手も4位(3位とたった1ポイントの僅差!)と上位入賞し、日本チームには良好な結果であったといえる。
また、台湾チームがフレアー部門優勝&とクラッシック部門準優勝という、素晴らしい快挙であった。
昨年、WCCワールドカクテルコンペティションにて女性バーテンダーが優勝を果たしており、
また、本年度のWCCが11月に台湾で開催されるため、当バーテンダー協会が、
バーテンダー育成の強化をしているそうだが、その成果であろう。
~中央---NBA国際局・上野秀嗣氏~
~右---IBA会長Mr. Derrick Lee~

ここで、IBAトレーニングセンター・ジョンホワイトコース・ファーイースト2007に触れておこう。
主催:IBA&ABSS、後援:SHA(シンガポール・ホテル協会)、協賛:タイガービアー社、アブソルート、ペルノ・リカール、
宝酒造はじめ7社。コース期間は、7/15~7/26の9日間。授業は、朝9時から夕方6時迄行われ、公用語は英語。
今回の参加者は世界18ヶ国から39名(日本人5名)。会場は、SHAが運営を行うホテルスクールを利用し、宿泊先も費用に含まれる。
様々な国の受講者と親交を深めながら、国際感覚溢れるエリートバーテンダーを養成することが目的。
受講者は、費用約12万円を支払い(NBAでは自己負担)、IBA所属の各国バーテンダー協会の推薦を受けなければならない。
また、教育という観点から年齢制限を設けており、28才以下を中心とする。
コース終了時に筆記試験結果・オリジナルカクテルポイント・プレゼンテーション能力・受講態度の評価をもって、
最優秀生徒賞(28才以下の生徒が対象)の表彰を行う。IBAは、このJWコースをこの極東エリアだけでなく、
ヨーロッパ、北米、南米と4ヶ所で展開しておりカルキュラムは均一としているが、
最も、熱心なのは、ここ極東エリアを統括するシンガポールである。
尚、JWコース・テキストは、当方の事務局に保管してあるので、ご興味のある方は、どうぞご覧ください。
また、コース受講者の中からアジア・パシフィック大会の選手を選考する協会も多く、NBAの選手はコース修了者が多い。
ヨーロッパの協会では、同時進行でアジパシ選手とJWC生徒を掛け持ちさせる組織もある。

<<シンガポール・バー&ホテル事情>>
■No.5 Emerald Hill
 1910年代英国植民地時代のペラナカンスタイルのショップハウスを改造した インテリアにバーを取り入れた空間。提供するFBは、ウエスタンタイプ。タイ ムスリップしたかのような新旧取り混ぜた独特の風情を醸し出している。異空間 ながらも、落ち着いてしまうのは、我々がアジア人たるゆえんであろうか。澤井 さんが、この場をとても気に入っており、シンガポールを訪れる度に、立ち寄っ ていた。今回も、店のマネージャー氏が、「今回、Mr. SAWAIは、来ないのか?」 と尋ねられ、お亡くなりになったことをお伝えするととても寂しがっていた。
 
■Que Pasa
 前述、No.5に隣接し同じEmerald Hill Groupがオペレートするワインバー。 シンガポールでのワインバーの草分け的存在。スペイン雑貨屋をイメージした内 装は、ほど良い暗さで、セラー風に壁面を埋める約2000本のボトルを背景にワイ ン樽を再利用したテーブルを用い、どこか懐かしい温かい雰囲気を持つ。店名は、 What's Happen(何が起こったの?)という意。おつまみは、スペイン風タパス。 種類も豊富で値段もリーズナブル。
 
■Long Bar
 世界で最も有名なオリジナルトロピカルカクテルといえば、ラッフルズ“シン ガポール・スリング“。英国の文豪、サマセット・モームが「エキゾチックな東 洋の神秘」と形容したシンガポール湾の夕焼けを表現したカクテル。この発祥地 であるバーの内装は、1920年代のマレーシア・ゴム農園がモチーフ。曲げ木造り のテーブルと籐椅子を配したトロピカルムード漂うこのバーでは、ランチからス リングを楽しむ観光客で溢れるが、もう一つのお楽しみは、ピーナッツ。食べ放 題でゲストは、殻を床に落とすのがしきたりだ。ゴミを落とすと罰金が科せられ る美しいガーデンシティで、唯一、散らかしてもお咎めがない楽園(?)へ食べ かけの豆を目当てにときおり小鳥も舞い込む。さて、こちらロングバー、落花生 やカクテルのみならず、軽食やサンドウイッチも、とてもポテンシャルが高い。
 

■Inter Continental Singapore
 今回は、アクセスに便利な宿泊先をと思い、エージェントにお願いをした所、 MRT(地下鉄)駅と直結したホテルを選んでくれた。それが、このインターコン チネンタルホテルである。ブギス駅やパルコ・西友デパートなどのショッピング アーケード(ブギス・ジャンクション)とつながっており、こちらで、最低でも 一日一回はあるスコールでの際のアクセスが便利。また、かのラッフルズホテル へも徒歩圏内である。ホテル外観は、コロニアル調の中にもエスニックな雰囲気 があるペラナカン(マレーと中華文化の融合)建築様式で、多民独国家・シンガ ポールならではのムードが味わえる。古き良き時代の魅力と、現代的な便利さを 兼ね備えたホテルであり、観光のゲストにもビジネスマンにも重宝されるホテル であろうと感じた。
  
 

<<感想>>
 長年に渡り世界のバーテンダーとの太いパイプ役であった元IBA名誉顧問・澤井氏が、亡き今、
国際バーテンダー協会や海外のバーテンダー協会との関係を新たに構築し、当協会の将来の発展につながるようにと
渡邉会長や今泉専務理事の意志のもと、私、小森谷が視察に臨んだ。
私は、このアジア・パシフィック大会は、選手として参加した1993年、
視察員として随行した2002年に続いて今回と三度派遣されている。また、IBA総会&WCCは、過去、二度ほど視察を行った。
ここで感じるに、IBAは、世界中のバーテンダーの協会であるという半面、
役員として実際に動かれている方々は、さほど、多くないという事実である。
なぜなら、ボランティア精神を持ち、時間的にも資金面でも余裕のある人間(組織)でなければ、長く活動することができないのだ。
現在、IBA会長がここシンガポール出身であるが、アジアのバーテンダー組織は、
一般に、統率が取れ強固で資金源も豊富であるということが理由の一つでもある。
送り出す協会の強力なバックアップやサポートがないとIBAでは重責につけない。
このようなアジアのバーテンダー協会を数多く設立したMr. SAWAIのご尽力と思慮深さ、
そして、その圧倒的な影響力には、本当に頭が下がる。
さて、太いパイプを失ったのは、NBA日本バーテンダー協会も同様であるが、
新たな調整役として、素晴らしい人材を既に送り出している。
我がHBAは、NBAの理解の下、IBA国際活動に積極的に参加し、
IBAの役員の方々に“日本ホテルバーメンズ協会”を認識して頂き、継続的に活動を行っていく事を指針とすれば、
おのずと良い方向に進むものと確信する。 
以上

~左---筆者、右---NBA上野氏~
澤井さんのお気に入りだったバー前にて

■アジア・パシフィック・バーテンダー・オブ・ザ・イヤー カクテルコンペティション2007
フレアテンディングカテゴリー出場のご報告

京王プラザホテル 高野 勝矢

■7月22日
18時45分発のノースウエスト航空にて空路シンガポール、チャンギ国際空港に向けて出発。
現地時間23日1時50分に到着。 その後、タクシーにてシンガポール市内にあるSHA VILLA HOTELに3時半頃チェックイン。
ここで初めて、NBAからの代表選手の新井氏と対面をする。
実は空港にお迎えの車が来ていたらしいのですが、私は一人でホテルに向かってしまい、心配をお掛けすこととなってしまいました。
また、渡辺会長にお借りしたスーツケースも壊してしまい前途多難な一日目となってしまった。
会長すいませんでした。


■7月23日
12時にSHA VILLA HOTELをチェックアウトし、タクシーにてシンガポールホテル協会が用意して頂いたホテル、
HILTON Singaporeへ移動、チェックインを済ませる。
夜18時に迎えの車でウエルカムパーティ会場、チャコール・レストランに向かう。
ここで明日行われる大会についての簡単な(本当に簡単で困りました)説明とカクテルレシピのチェックを行った。
他の代表選手やバーテンダー協会の人々と共に食事し、特にタイ、台湾、韓国、インドネシアの代表選手とは
意気投合することができ、とても良い国際交流ができた。
このウエルカムパーティだけではなく、スポンサーとして現地では唯一の飲料メーカー、“タイガービール”が
その後バスでクラブに案内し、またその後もタイガービールの所有するクラブへ案内して頂いた。
その後は自由解散となり、新井氏、HBAからオブザーバーとして参加していたホテルニューオータニの小森谷氏と
NBAからやはりオブザーバーとして参加していた、スター・バー・ギンザの上野氏と共にタクシーでホテルへ向かい、就寝。
■7月24日
朝食を済ませ、早速カクテルのデコレーション作りに取り掛かり、午後には練習もして本番に備えた。
17時に迎えの車がホテルに到着し出発。シンガポールの海沿いにある地区、クラーク・キーの屋外特設会場へ向かう。
ここは近代的な街並みの地区でたくさんのショップやレストランがあった。
人が多く、こちらではあまり見かけない日本人の観光客までいた。
そのたくさんの人たちが観客となり、会場をさらに盛り上げる事となった。
まず、19時からシンガポールの代表選手を決める、大会がカクテル部門、フレアテンディング部門の順で行われた。
その後いよいよAsia Pacific Bartender of the Year Cocktail Competition2007 セミファイナルが行われた。
カクテル部門から行われ、21名の選手中上位6名が明日のファイナルに進める。
その後のフレアテンディング部門は上位3名がファイナルに進める。
抽選によってエントリー番号を決めるはずであったが、抽選はしないといったり、ファイナルには6人が残れるといったり、
海外ならではの訳のわからない事態に多く出くわした。
冷蔵庫はないし、スタンバイは屋外の地べたでさせられるし、日本では考えられないことが多かったが、
昨年出場の神戸ニューオータニ・ハーバーランド影山さんのアイドバイスを聞いていたこともあり、
気にすることなくこれが当たり前だと思って準備に集中できた。
日本の私がエントリーナンバー1で他には、スリランカ、タイ、インドネシア、
台湾、香港、中国、韓国、シンガポールの9名の代表選手で競われた。
ボトルなどを落下させれば減点対象となり、オリジナルカクテルの味覚審査も厳しく行われた。
私は日本をイメージする音楽に合わせ、着物をきて演技を行った。
おもちゃの日本刀を持ち、パイナップルを一刀両断する(あらかじめ仕込んでおいたのですが)パフォーマンスでは会場は大いに沸いた。
ぱっと割れたパイナップルからジュースが注がれ、さらにその後、万国旗を取り出すと又更に沸いた。
音楽は2曲を使用するつもりであったが、2曲目の音楽が流れず無音状態のまま演技するなどハプニングもあった。
ボトルを2,3回落としてしまい、減点対象となってしまったが、終始笑顔で楽しさを表現できたとは確信している。
しかしながら、他の国の代表選手のフレアテンディングの難易度は高く、自分自身ファイナル出場は厳しいとは感じていた。
それでも、味覚審査員からは味の評価は高かったとお褒めの言葉を頂き、自信になった。
実はカクテルレシピ作成は同京王プラザホテル渡辺高弘氏のお力をお借りし、たいへん助かりました。
レシピは以下の通り。

“アジアン・ビート”
バカルディホワイト  15ml
マリブ        30ml
アマレット      15ml
パイナップルジュース 45ml
ストロベリーシロップ 15ml

以上をシェイクし、グラスに注ぐ。蘭の花、パイナップルを飾る。
いよいよ、結果発表。カクテルカテゴリーからの発表でNBAからの選手新井氏の名前が呼ばれ、二人で大喜びしていた。
その後すぐにフレアテンディングの結果発表となったが、英語でよく意味が分かりづらく、
心の準備が整わないうちに私のカクテル名“アジアン・ビート”が呼ばれた。
これまた二人で大喜びし、他の代表選手のもとへ向かい、お互いの健闘を称えた。
その夜は会場を後にしたのは既に0時を回っていたか、小森谷氏の薦めるNO,5というバーでささやかな祝勝会を行った。
このバーはエメラルド・ヒルという地区内にある、中国文化を匂わせる古い造りのバーであった。
近代的な街並みを見る機会しかなかった私にとって、とてもよい体験であった。
小森谷氏からは亡き澤井さんが好きだったお店として案内され、澤井さんのおかげで二人のファイナル進出が叶ったのだと感じた。

 
■7月25日
午後、歴史ある、ラッフルズ・ホテルのロング・バーの視察を小森谷氏と行った。
このホテルで生まれ、世界中に広まったカクテル、“シンガポールスリング”を飲まずには、
バーテンダーとして帰れないとまで思っていた。
レシピは知っており、実際自分自身で作って飲んだこともあったが、本場のシンガポールスリングはもっと爽やかで、
とても美味しく、又飲みたくなるような味わいであった。(日本人の好みからするともっと冷やしたほうが美味ではあるが)
その後一旦ホテルにもどり、その後ファイナルの会場ホテル“GOOD WOOD PARK HOTEL”に向かった。
会場ではガラ・ディナー・パーティーが行われており、その会場のステージで演技をする事となっていた。
今回のエントリーNOは3番で全選手の最後となった。
私のファイナルの演技は納得のいくものではなくボトルを落下させてばかりでとても残念であったが、
正確で美味しいカクテル作りと笑顔だけは絶やすことなく演技できたとは思っている。
その後、各カテゴリー別に選手がステージ上に集い、表彰が始まった。第3位の表彰と盾を頂いた。
第2位は香港の選手。第一位は台湾の選手で、スパイダーマンのコスチュームでパフォーマンスを行なった選手であった。
カクテルカテゴリーでは、日本の新井氏は残念ながら3位までに入らず、ダブル表彰とはならなかったが、
二人ともファイナルまで進めたことは大いに意義のあることであると大会関係者からも賞賛の声を頂いた。
パーティはその後も続き、IBA会長や香港バーテンダー協会会長など、様々な人たちと名刺交換をしたり、
記念撮影を行なったりと時間はあっという間に過ぎてしまった。
また、なぜか今回“一気”が流行ってしまい、タイの選手のテーブルにいくとビールを飲まされ、
私はフラフラになりながら帰路に着くこととなった。

Asia Pacific Bartender of the Year Cocktail Competition 2007出場に際し、多くの方々の力をお借りし感謝申し上げます。
国内選考の結果、私のために出場できなかったホテルバーメンの方々に恥じないよう一所懸命に練習を重ねてまいりました。
優勝を目指してやってきての結果が3位という形になり、残念に思っております。
しかしながら、異文化交流を深め、印象に残るパフォーマンスと美味しいカクテルが作れたことは
HBAの代表としての責務を果たせたと自信を持って日本に帰って参りました。
ホテルニューオータニの小森谷理事には出発前から色々お世話になり、
NBAの上野氏には多大なご心配をお掛けしたことお詫び申し上げます。
そして、一緒に挑戦したNBAの新井氏には大変感謝しております。
今回の出会い、経験は私の一生の“宝”となることでしょう。